【鞆の浦】ポニョのふるさとを訪ねてみた。
広島県の北部にある福山市には万葉の時代から潮待ち・風待ちのための瀬戸内海航路の要衝として栄え、独特の文化を育んできた港町があります。
古くは朝鮮通信使が立ち寄り、江戸時代には坂本龍馬ゆかりの地としても大きく発展した鞆の浦には、江戸時代の港のシンボルである『常夜燈』『雁木』『波止』『焚場跡』『船番所跡』すべてを今に残す唯一の港として、歴史的な遺産とも言える地でもあるのです。
また、最近では宮﨑駿の作品である『崖の上のポニョ』の構想を練った地としても有名な港町ですね。
写真を整理していたら、以前『鞆の浦』を訪れた際のものがでてきましたので、まとめてみたいと思います。
※この記事は2012年春に訪れた情報を元に記載しています。
鞆の浦へのアクセスはやや不便
鞆の浦へ行くにはJR福山駅から二時間に1本程度運行されているバスか車で行くことになります。
バスはレトロなボンネットバスが運行されており、福山駅から鞆の浦まで直通で30分程度です。
バスの運行時間などは鞆鉄バスボンネットバス運行状況で紹介されています。
出典:ganref.jp
マイカーやレンタカーのほうが便利でおすすめですが、鞆の浦のまちなかは道路が狭く、運転が非常に困難ですので、鞆の浦の入り口である東岸側、鞆シーサイドホテル周辺にある市営駐車場を利用しましょう!(ここより先のエリアは道幅が極端に狭く、駐車場もありません)
鞆の浦を散策してみよう!
鞆の浦は散策スポットがあり、駐車場のある鞆港東岸周辺の案内所ではマップも配布されています。
こちらから入江を挟んで鞆港西岸にある常夜燈にかけてが鞆の浦の散策スポットとなっています。
室町幕府を築いた足利家が興り滅んだ場所、さらに源平合戦の悲劇の舞台などとしても登場する鞆の浦には史跡や名所が数多く存在しているのです。
西岸エリア
鞆港西側の先端にある常夜燈は1859年に建造されたもので、鞆の浦のシンボル的な存在となっています。
この常夜燈の竿柱の南面には「金毘羅大権現」、北面には「当所祇園宮」の石額が掲げてあり、海上安全の守護神への寄進燈籠となっています。
当時はニシン油を使って燈籠に火を灯し、灯台として闇夜の船乗りたちの道標としての役割を果たしていました。
現在では夜間に電気の光が灯るようになっていますが、風情ある港町の象徴は周辺の町並みとともにロケ地として映画やドラマの舞台としても登場する有名スポットになっています。
常夜燈の脇には地元で『大蔵』と呼ばれていた江戸期に建てられた建物の中に坂本龍馬率いる海援隊の船として有名ないろは丸の展示館があります。
いろは丸は1867年に紀州藩の船と衝突・沈没してしまいましたが、その後、紀州藩と談判したことで有名です。
いろは丸の沈没したのが鞆沖の海域で、はじめに談判が行われたのがここ、鞆の浦だったのです。(談判はその後、舞台を長崎に移して行われることになりますが…)
展示館では沈没調査が行われた時の資料などが数多く展示してあります。
鞆の浦のまちなか
鞆の浦のまちなかエリアはメインの通りでも車での離合にも一苦労しそうな場所が数多くあります。
狭い路地に昔ながらの船具店や凧店、地元の方も訪れる雑貨店などに混じってカフェや飲食店などが点在するエリアとなっており、江戸時代の街並がいまなお残る風情あふれるエリアとなっています。
ポニョにも出会えます(笑)
東岸エリア
東岸エリアには駐車場やホテルのほか、対岸にある仙酔島への船着場があります。
仙人が酔うほど美しい島といわれる仙酔島は手つかずの自然と五色の岩が宿る島、そして、景観と神秘的なパワーを感じる島として親しまれています。
仙酔島へは龍馬のいろは丸を模した『平成いろは丸』で約5分です。
古い町並みと風情あふれる景観を今なお残す鞆の浦、目の前には日本初の国立公園として制定された瀬戸内国立公園の自然と日本でもっとも癒される港町とも言われるこの街に訪れてみてはいかがでしょうか?